前回は、これまで多くの保護者から寄せられた相談を基に、子育ての悩みを解決するヒントについてお話ししました。また、家庭教育と学校教育に共通するキーワードとして、子どもと民主的に対話することを取り上げ、その重要性、「主体的な学び」の捉え方についても、私の考えをお伝えしました。今回は、日本の学校教育の特長と課題、子どもと接するすべての大人に知っていただきたいキーワード「リスペクト」についてお話しします。

「とにかく学校に行かせる」ことだけを考えない

昨年末に日本でも公開された、東京の公立小学校を1年間密着取材したドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」がフィンランドで大ヒットし、国際映画祭でも上映されるなど、世界の注目を集めました。同作品では、児童が、集団の一員として学校生活を送る上で必要な規律や秩序について学ぶ教育活動が取り上げられ、給食当番や掃除、学年を横断した縦割り班での活動などが日本の小学校のよさとして再認識されました。そうした教育によって子どもたちには社会情動的スキルが育成されるのですが、それはかつて教壇に立っていた私自身も実感していたことです。

一方で、長所やメリットは多くの場合、短所やデメリットの裏返しです。給食当番などの活動に加えて、教科の授業などでも集団かつ同一の行動が子どもたちに求められますから、指示に従わないことは許されないといった、一種の同調圧力が働きます。皆と同じ枠に入らないといけない場面が多いほど、その枠に入れない子どもはつらくなり、学校に行けなくなることもあります。現在の日本の教育活動には世界から称賛される素晴らしい点がある半面、そうした負の作用があることも認識しておく必要があると思っています。実際、不登校児童生徒数は増加の一途をたどっており、最新の文部科学省の調査でも、ここ数年は過去最高を更新しています。

図1 小・中学校における不登校児童生徒数の推移(上)と1,000人あたりの不登校児童生徒数の推移(下)

小・中学校における長期欠席者のうち、令和5年度の不登校児童生徒数は346,482人(前年度は299,048人)で、児童生徒1,000人あたりの不登校児童生徒数は37.2人(前年度は31.7人)。
出典:文部科学省「令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」

図2 高校における不登校生徒数と1,000人あたりの不登校生徒数の推移

高校における不登校生徒数は68,770人(前年度は60,575人)で、1,000人あたりの不登校生徒数は23.5人(前年度は20.4人)。小学校・中学校・高校いずれも、不登校児童生徒数は調査を開始して以来、過去最多となっている。
出典:文部科学省「令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」

私が気がかりに思っていることは、子どもが学校に行かない、行けない時に、教師も保護者も「とにかく登校させないといけない」と考え過ぎてしまう点です。子どもが学校に行く方がよいと考えるのは自然なことですが、登校しないことが悪いことであるかのような言動は避けるべきです。
ではどうすればよいのかというと、まずは保護者が子どもの思いを、きちんと、冷静に、共感する気持ちを持って聞いてあげることです。どうしても学校に行けなさそうであれば、無理して学校に連れて行くようなことはせずに休ませるという選択をするべきだと思います。
特に保護者は、周囲の目や自身の子ども時代の価値観にとらわれがちです。登校することが正しく、登校しないことは間違っている、と考えないことです。いまや登校するという選択は唯一の正解ではなく、周囲と同じ行動を取ることも正解とは言えない時代です。「学校」は子どもが学ぶ場所の選択肢の1つですが、唯一の選択肢ではありません。フリースクール、ホームスクーリング、オンラインスクールなどの選択肢も視野に入れて、子どもにとって最適な学びの場所を選ぶことを考えてください。社会に出るまで、そして社会に出てからも多様なキャリアパスがあります。保護者自身が、子どもたちがこれから生きていく時代の考え方にアップデートする必要があります。

AI時代における個別最適な学習は、学年や学習範囲の枠を外してもっと自由に

私の元に届く保護者からの様々な悩みの中には、「子どもが学校の勉強についていけない」といった声も多数あります。中学3年生の数学の授業を見学した際に、同じクラスの中に高校の数学の内容が分かっている生徒と分数がよく理解できていない生徒がいることに驚き、学力の多層化がますます進んでいるのではないかと、強い危機感を覚えました。たとえ中学生や高校生であっても、小学校で学習する内容が分かっていなければ、その学習を優先して行う必要があります。
学力の多層化の問題を解決するためには、学習指導要領をより柔軟に運用することができるようにする必要があるでしょう。小学校で学習した算数を理解しきれていない中学生がいたら、まずは該当する算数の単元を学習し直し、高校レベルの数学が理解できる小学生がいたら、高校の数学の単元を学習できるようにする。そうした個別最適な学びを学校で行えるようにするべきだと思います。
現在はAIを搭載した学習ソフトが一般化し、学習者は自身の理解度に応じて提示される問題に取り組めるようになりました。今後はそういったソフトが児童生徒の学習を支援する存在となり、一人ひとりに応じた学習を時に教師が伴走しながら進めていくような授業があたり前になっていくでしょう。そうした方向性を踏まえると、学校教育のあり方が根本的に問い直される時に来ているのではないかと感じています。

子どもも1人の人間。リスペクトする思いを持つ

これからの学校教育をよりよいものにしていくために、私が最も大切にすべきだと考えているのが、子どもに対してリスペクト(尊敬)する思いを持つことです。保護者も教師も1人の人間であるように、児童生徒も1人の人間です。その意味で、大人と子どもは対等な存在であり、互いに人間としてリスペクトすべきなのです。でも、日本ではまだ保護者や教師が子どもをリスペクトするという発想自体がほとんどありません。とにかく「保護者や教師は子どもより上の立場」という意識が根強くて、上下関係があってあたり前と思い込んでいる人がほとんどです。このような一方的な上下関係は、子どもの発達や学習意欲に悪影響を与える可能性が高いことが様々な研究で示唆されています。親子が人間として対等な立場でそれぞれの思いを伝え、意見を言って話し合う。そうした民主的なやり取りの経験を幼少期から積むことが非常に重要です。最終的に保護者が駄目だと判断して、それを子どもに伝えるべき場面はあるにせよ、「親が言うことは聞きなさい」などと上下関係を理由に強制するのはいけません。そのような言動により、子どもは「どうせ子どもだから」と、自らの精神的な成長にふたをしてしまいます。反対に、幼少期から保護者にリスペクトされて育った子どもは、保護者のその気持ちに応えようと、自分の言動に対して責任を取ろうとします。どちらの方が精神的に成長するかは明らかだと思います。

また、保護者や教師からリスペクトされる子どもは、保護者や教師に対してもリスペクトする思いを持って接します。社会人の上司と部下の関係に置き換えて考えてみてください。何かの失敗をしてしまった部下に対して、上司が立場を笠に着て「何をやっているんだ。駄目だな、君は」などと頭ごなしに叱責してきたらどうでしょうか。このような上司を部下はリスペクトできないでしょう。反対に、上司と部下という立場の違いはあっても、1人の人間として自分の話に丁寧に耳を傾けてくれる上司であれば、部下はリスペクトするでしょう。

教師や保護者と子どもの間にも同じようなことが起こります。校長等の管理職と他の教師、先輩と後輩でも同様です。教師に求められる資質・能力のうち、他者をリスペクトする力はもっと重要視されるべきかもしれません。子どもに寄り添う立場にある教師と保護者の間にも、互いをリスペクトする関係があたり前のように構築されれば、学校教育の質はさらに高まるでしょう。私は教師の職を退きましたが、保護者への語りかけを通して、その思いをこれからも伝え続けていきたいと思っています。

 

(本記事の執筆者:神田 有希子)

親野・智可等(おやの・ちから)

教育評論家

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